2011/04/08 14:42:40
認知的協和・不協和理論
普通に生活しているといたるところで広告というものを見かけます。テレビや雑誌、インターネット、電車の中吊りなど広告を見かけない日はほとんどないでしょう。
広告の目的は、商品を知ってもらい、そしてその商品を買ってもらうことです。「あ、この商品気になるなぁ」と思ったときには、その広告をよく見て、商品の説明を読みますよね。
でも、その商品を購入した後にも、その商品に関する広告に目を通したりしませんか?すでに購入済みで、広告にもずいぶん目を通しているのに、なぜか広告を見てしまう。
そして、自分の買った商品がすばらしい商品であると書いてあるとうれしくなる。逆に、自分の買った商品があまりいいい評価を得ていないと、不快な気分になり、いい評価を書いている広告を探してしまったり、その商品の利点をいろいろ探したりしてしまう・・・、
そんなことはないでしょうか?アメリカのフェスティンガーという心理学者はこのようなことを認知的協和・不協和理論という理論で説明しました。
認知的不協和というのは、矛盾した2つの認知がある状況です。そして、その不協和を解消するために、比較的変えやすいほうの認知を変えて、協和している状態にしようとします。
このままでは、ちょっとわかりにくいと思いますので例をとって説明します。たとえば、自分のセンスで新しい車を購入したとします。購入後に、雑誌でその車がとてもよい紹介のされ方をしていました。
これは、認知的協和の状態です。自分のセンスで買った車が、世間的にもセンスのいい車であったわけですから。しかし、雑誌での紹介のされ方が、あまりいいものではなかったらどうでしょう。
自分のセンスと世間の評判が食い違っていて、認知的不協和の状態になってしまいます。このとき、比較的変えやすいどちらかの認知(自分のセンスか世間の評判)を変えて、協和させなくてはなりません。
自分のセンスのほうは否定しにくいものですので、雑誌の評価をどうにかしなくてはなりません。たとえば、その雑誌はいつもでたらめばかり書いていると雑誌自体を否定したり、「その車は外見はちょっとセンス悪いけど、なにより燃費がいい」とほかのいいところを探したりしてなんとか協和させます。
自分のセンスを否定することは難しくても、購入の際に自分以外の誰かの意見が反映されていれば、たとえば奥さんが「この色がいい」といったとしたら、「この色のセンスは自分のセンスではない」として、認知的協和の状態にもっていけるわけです。
商品を購入した後も、広告を見てしまうのは自分が買ったのは正しかったことを再確認して、認知的協和の状態を維持するためです。
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